Objet d' art

DESIGNER

Charlotte Perriand

Charlotte Perriand

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シャルロット・ペリアンは1937年にコルビジェ のアトリエを離れた後、元同僚で坂倉準三の働きかけにより1940年日本の商工省(現・経済産業省)の招聘を受け、輸出工芸指導顧問として来日しました。工芸技術の視察のため、日本の文化や地域を見聞するための旅が始まります。この旅では、当時商工省貿易局の所属機関にいた若き柳宗理が日本での案内役を務めています。この時期にペリアンの視点や仕事への厳しい姿勢に触れた経験から良い影響を受けたと生前の柳宗理も語っており、今となっては日本の工業デザインの草分けとして伝説的なデザイナーと評さる柳宗理と受け合っていたペリアンの日本への貢献はすでにこの時から始まっていたようです。京都での河井寛次郎と出会いに加え、柳宗悦らと工業と手工芸の調和に対する思想と美意識で共感し、更に日本の美への理解を深めます。京都の視察に続いて仙台、山形、新庄、角舘、川連、鶴岡、酒田、秋田など東北各地を重点的に訪れた結果、新庄町(現新庄市)で工芸指導が行われ、この土地の民具であった蓑(みの)や藁細工の技術を応用して現地の職人たちと共同で寝椅子、テーブル、スツールなどの家具が生まれています。現在これらの作品は山形市の県立博物館に所蔵されています。柳宗悦や河井寛次郎も収集に携わっていた民芸品の視察もペリアンに大きな創造力を生み、この7ヶ月の日本各地への旅で竹、漆、アルミニウムやテキスタイルを応用した新しいデザインを家具を生み出しています。これらの作品は1941年東京・大阪高島屋での展覧会「選択・伝統・創造」で発表されました。この展覧会で示された「元々ある技術の応用」「新しい用途の発見」「作り手の創造力の喚起」は建築やデザインの道を志す日本人に強烈な印象を与えたと後の長大作は語っています。同じく戦前・戦後の日本の建築、デザイン業界の礎を築いた若き剣持勇(インテリアデザイナー・家具デザイナー)、渡辺力(工業デザイナー)、松村勝男(家具デザイナー)らが日本のグッドデザインの本質を追求していくきっかけを与えています。戦後1955年にペリアンの企画によって日本における第二回目の展覧会「ル・コルビジェ、フェルナン・レジェ、シャルロット・ペリアンによる三人展」を開催し、当時世界各国で関心を集めたテーマであった「造詣芸術と住まいに関する分野においての芸術の綜合」が当時のフランスでいかに進められていたということを日本に示しました。家具のデザイン領域で旧東京都庁都知事室(1957年)墨会館(1957年)旧草月会館(1958年)など設計した丹下健三との協働するなど、ペリアンが日本の建築家やデザイナー、引いては日本のモダニズムの発展に与えた影響は計り知れません。

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