Objet d' art

FOCUS

Le Corbusier, Pierre Jeanneret, Charlotte Perriand

3人のモダニスト

中間世紀、いわゆるモダンの時代に活躍した3人の協働は、1927年のサロン・ドートンヌに、シャルロット・ペリアンが出品した《屋根裏のバー》をきっかけに、ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレのアトリエへ彼女が入所したことから始まります。戦前のLCシリーズの発表や、途中、袂を分つ時期がありながらも、マルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」に見られるように、数々の作品を共作で発表しています。今回の展示では、彼らが「住宅の設備」と位置付けた「家具」にフォーカスをあて、ご紹介させていただきます。

from Chandigarh

Pierre Jeanneret Lounge Sofa, Lounge Chairs, Glass Coffee Table and Linen Basket

Le Corbusier and Pierre Jeanneret

今日ではよく知られる通り、ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレは従兄弟であり、数々の名建築を手がけたことで有名です。1922年、従弟のピエール・ジャンヌレと共に事務所を構え、翌年『レスプリ・ヌーヴォー』に掲載された自らの記事をまとめた著作『建築をめざして』を発表し、世界中の建築家から注目を集めます。この著作の中の「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉は、建築の分野において、モダニズムの礎と言っても過言ではない思想です。数々の理想都市を構想したコルビュジエではありますが、彼自身の設計で実現したものは、インドのチャンディガールのみです。そこでは都市の成り立ちから建築、家具に至るまで、彼らの協働を見ることができます。

from Cansado

モーリタニア北西部にある海岸沿いの町Cansadoは、鉄鉱石採掘会社「MIFERMA」の港と線路を管理するスタッフのために作られた都市です。MIFERMA社から都市と建物の設計を依頼されたのがAtelier LWD でした。当時シャルロット・ペリアンは、すでにパリ、ロンドン、アフリカの建築現場で、ギー・ラグノーやミッシェル・ヴァイルと協力しており、彼らから相談を受けて、このプロジェクトに参加したと言われています。彼女は、そのプロジェクトのボリュームによって、小規模なシリーズで家具を生産することができたため、住宅の設備としてのコレクションを作成することができ、それは、ステフ・シモンとの協働でもありました。
カンサドでは、ル・コルビュジエやピエール・ジャンヌレ、ジャン・プルーヴェとのこれまでのコラボレーションでデザインした、さまざまな家具をアレンジしています。
MIFERMAは1975 年以降に国有化され、採掘活動がある程度低下したことを受けてヨーロッパの人々は、徐々にそこを離れていきました。家具は管理事務所や現地に残るモーリタニア人の住宅で再利用され、今日ではペリアンの功績から、世界中のギャラリーでコレクションされています。

Dining Table

合板の天板を備えた金属ベースのこのテーブルは、堅牢でミニマルかつ、製造が容易で、非常に合理的なデザインです。ベンチやサイドボードの脚が調和する、見事なデザインを実現しています。家具の金属部分は Métal Meubles によって製造され、木製部分は Négroni によって製造され、その家具の多くはCansadoの現場で組み立てられました。

Unité d'Habitation

フランス語で「住居単位」というような意味のユニテ・ダビタシオン。大西洋を横断する豪華客船をヒントに、住居以外に商店、郵便局、体育館、幼稚園なども併設され、生活の全てをそこで賄うことができる、そんな建物です。
南仏マルセイユのユニテ・ダビタシオンは、ル・コルビュジエが生涯に設計した5つのユニテ・ダビタシオンのうちに、一番最初に設計されました。その設計には、配置計画や立面、断面計画から、住戸計画、家具などの造作に至るまで、徹底的に、自らが提唱した建築の寸法体系であるモデュロールが用いられています。
内装デザインを任されたのは、シャルロット・ペリアン。コンパクトなキッチンや大容量の収納など、料理や子育てをするのに実用的・機能的なアイディアがたくさん詰まったデザインは、彼女ならではです。