Objet d' art

DATE
1st Apr - 24th Apr 2022

WOMEN DESIGN IN MODERNEXHIBITION

会期
2023 年 4 月 1 日 ( 土 ) ~4 月 24 日 ( 月 )
開催時間
10:00 ~ 20:00
場所
伊勢丹新宿店本館 2 階 イセタン ザ・スペース【google map
会期
2023 年 4 月 1 日 ( 土 ) ~4 月 24 日 ( 月 )
開催時間
10:00 ~ 20:00
場所
伊勢丹新宿店本館 2 階 イセタン ザ・スペース【google map

 戦後から近代までのモダンデザインの世界における女性の貢献を称えて , デザインギャラリーの Gallery CASA DE, SNORK – MODERN AND CONTEMPORARY, Objet d’ art の協力のもと、展示販売会 『WOMEN DESIGN IN MODERN』展を 2023 年 4 月 1 日 ( 土 ) ~4 月 24 日 ( 月 ) の日程で伊勢丹新宿 2 階の I S E T A N T H E S P A C E で開催されます。

 本展では、戦後から女性解放運動の始まり、ポストモダニズム、ミニマリズム、そして世紀末へと、モダンデザインを形成 してきた間における世界の女性デザイナーの優れた作品を通して技術や貢献を感じ取っていただく機会となります。この展 覧会で紹介される作品は、各ギャラリーの協力のもとシャルロットペリアン、アイノ アアルトやリナボバルディの作品を中 心としてガエ・アウレンティやマリア・ペルゲイ、田辺 麗子など世界中の女性による作品が展示されます。

 本展の目的は、男女差別のあった時代に、純粋な美学や完璧な技量、卓越した品質を達成した女性による作品からその時代 の社会、改革、そしてアイデンティティの物語を読み解き、デザインと歴史の大きな文脈の中での彼女たちの位置づけを再 検討することです。 現在、デザインを学ぶ学生の半数近くが女性であり、デザインの多くの画期的な分野で女性がリード出来る時代であります。 これからもさらに重要な社会問題に対する明確なスタンスを定義し、モダンデザインに新たな光が当たることを望みます。

□シャルロット・ペリアン
1937 年にコルビジェ のアトリエを離れた後、元同僚で坂倉準三の働きかけにより 1940 年日本の商工省(現・経済産業省)

の招聘を受け、輸出工芸指導顧問として来日しました。工芸技術の視察のため、日本の文化や地域を見聞するための旅が始 まります。この 7 ヶ月の日本各地への旅で竹、漆、アルミニウムやテキスタイルを応用した新しいデザインを家具を生み出 しています。これらの作品は 1941 年東京・大阪高島屋での展覧会「選択・伝統・創造」で発表されました。この展覧会で 示された「元々ある技術の応用」「新しい用途の発見」「作り手の創造力の喚起」は建築やデザインの道を志す日本人に強烈 な印象を与えたと後の長大作は語っています。同じく戦前・戦後の日本の建築、デザイン業界の礎を築いた若き剣持勇(イ ンテリアデザイナー・家具デザイナー)、渡辺力(工業デザイナー)、松村勝男(家具デザイナー)らが日本のグッドデザイ ンの本質を追求していくきっかけを与えています。戦後 1955 年にペリアンの企画によって日本における第二回目の展覧会

「ル・コルビジェ、フェルナン・レジェ、シャルロット・ペリアンによる三人展」を開催し、当時世界各国で関心を集めたテー マであった「造詣芸術と住まいに関する分野においての芸術の綜合」が当時のフランスでいかに進められていたということ を日本に示しました。家具のデザイン領域で旧東京都庁都知事室(1957 年)墨会館(1957 年)旧草月会館(1958 年)な ど設計した丹下健三との協働するなど、ペリアンが日本の建築家やデザイナー、引いては日本のモダニズムの発展に与えた 影響は計り知れません。

アイノ・マルシオ・アアルト

1894 年フィンランド、ヘルシンキ生まれ。
1920 年の 1 月にヘルシンキ工科大学の建築学科を卒業したアイノ・マルシオは建築家としてのキャリアをスタートさせます。アルヴァ・アアルトの事務所で働 き始めたのは 1924 年の冬で、その半年後にはアルヴァと結婚。女性の社会進出が困難な時代、才能豊かな建築家であるアイノ・アアルトはアルヴァの妻であり また対等なビジネスパートナーとして協働し、その関係はアイノが亡くなる 1949 年まで続きました。 アアルト建築の代表作であるパイミオのサナトリウムのプロジェクトでは、主にアイノが家具やインテリアデザインを担当したと言われています。パイミオのサ ナトリウムの家具デザインを高く評価された二人は 1935 年仲間と共に ARTEK を設立。アイノは初代アートディレクターに就任し、ますますインテリアデザイン に注力するようになります。
翌 1936 年のミラノトリエンナーレでは、アイノ名義で出展したフィンランド館の会場構成がグランプリ、ガラス器「ボルゲブリック・シリーズ」がゴールドメ ダルを獲得。その後 1937 年のパリ万博、1938 年のニューヨーク近代美術館での個展、1939 年のニューヨーク万博でのフィンランド館のデザインと、夫婦協働 によるプロジェクトを次々と成功におさめます。国際舞台での評価は時の一流建築家と肩を並べるまでにいたりフィンランドデザインを世界に広く知らしめまし た。 また、社会貢献への思いの強かったアイノは労働者のための住宅、児童福祉施設や幼稚園などに関わる仕事にも熱心に取り組み、それらからは家事や育児の視点 からの考察も垣間見れデザインを通じて女性の社会進出に大きく貢献しました。

建築、家具、インテリア、テキスタイルとその仕事は多岐に渡り、54 歳という若さでこの世を去ったアイノ。
人は彼女を「伝説の人」と呼びます。ARTEK の創立メンバーで友人のマイヤ・グリクセンは「彼女は私が今まで会った中で最も審美眼のある人です」と 1976 年 のインタビューで語っています。これはアルヴァと協働した多くのプロジェクトの成功の裏にはアイノの総括的なディレクション能力があった事を裏付けるもの です。近年日本でもアイノの功績にスポットを当てた展覧会が開催されるなど、その功績を讃えると共にその考察が進んでいます。

□リナ・ボ・バルディ

イタリア・ローマ生まれ。

ジオ・ポンティのもとでキャリアを積み、アートディーラーのピエトロ・マリア・バルディと結婚。サンパウロ美術館の立 ち上げのため招致された夫と共にブラジルへ渡ります。1951 年サンパウロのムルンビに、最初の建築作品となる自邸「ガラ スの家」を設計。家具デザイナーとしては、1949 年に、ジャンカルロ・パランティとともに「スタジオ・ダルテ・パルマ」 を設立。リナが初めて家具デザインをしたのは 1947 年、サンパウロ美術館の講堂のための椅子でしたが、これ以外にも、 自身の設計した建築作品に合わせて家具も手がけました。ブラジルでは「外国人」であり「女性」でもあったため、難しい 時代を過ごしたリナ・ボ・バルディでしたが、多くの建築作品を残し、建築とデザインの社会的・文化的な可能性の追求に 人生を捧げました。

Charlotte Perriand COLLECTION