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Vico Magistretti

Vico Magistretti

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1960年代に最も影響力のあった建築家・デザイナーのひとりであるルドヴィコ・マジストレッティは、ヴィコというニックネームで知られ、1920年にミラノで建築家の家庭に生まれました。1939年に建築学校に入学し、1943年に短期間スイスに移り住んだが、そこでBBPRの創設者であるトリエステ出身の建築家エルネスト・ナタン・ロジェに出会い、頻繁に通うようにな理、マジストレッティはロジェを師匠の一人と仰いだ。1945年にイタリアに戻り、建築の学位を取得すると、すぐに同年亡くなった父親のアトリエで働き始めました。

50年にわたる活動の中で、特にミラノで多くの重要な建築プロジェクトを手がけ、中でもよく知られているのは、トッレ・アル・パルコ、コルソ・エウロパのオフィス、INA-Casaのためのいくつかのプロジェクトとその他のヴィラや住宅である。アロシオ・ハウスの設計は、1959年にオランダで開催されたCIAM(Congrès International d’Architecture Moderne)で、イグナツィオ・ガルデッラによるオリベッティ社員食堂、BBPRによるヴェラスカ・タワー、ジャンカルロ・デ・カルロによるマテーラの住宅など、イタリアの同僚による他のプロジェクトとともに発表された。1970年代末からは、愛着のあるロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭をとります。

マジストレッティは、戦後、イタリアン・デザインの神話を築き、イタリアン・スタイルを世界に広めた文化運動、イタリアン・デザインの著名な提唱者であり、彼のアプローチは、コンセプトの定義から始まり、最終製品の完成に至るプロセスを通じて、デザイナーとメーカーの緊密なコラボレーションに基づいています。大量生産の偉大な提唱者である彼は、バウハウスのモットーにあるように、万人のための家具を確保するために、ひとつのオブジェを何度も再生産する可能性に魅了された。マジストレッティにとって、優れたデザインは50年、100年と使い続けられるものであり、そうでなければならない。

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