マシュー・マテゴ(1910ー2001)はハンガリーで生まれました。ブダペストのボザールでアートと建築を学んだ後、1931年より活動拠点をフランスに移しました。1930年代のマテゴはFolies Bergères(フォリー・ベルジェール/フランスはパリの伝統ある劇場)のセットクリエーター、Galeries Lafayette(ギャラリー・ラファイエット/フランスはパリの伝統ある老舗の百貨店)のマーチャンダイザーなど、インテリアを軸としながらも様々な職業で経験を積んでいきました。1939年第二次世界大戦勃発後はフランス軍に加わり、戦中ドイツで囚人にされてしまいましたが、奇跡的に戦後となる1945年に解放されました。
戦後パリに戻ってからもHotel de France(旧名ホテルドフランス/現Grand Hotel de L’Independance)やMaison de l’ORTF(メゾン・ド・ラジオ・フランス)など、装飾家として大きなプロジェクトを手掛けながらも、マテゴは企業に属して仕事を全うするのではなく、パリとモロッコ(カサブランカ)に自身のワークショップを設立して家具デザインの道へ進む決断をします。
彼は金属の板に穴を開けることで生産(工業的プロセス)における効率性と芸術的な美学の融合を目指し、小さな正方形と丸い穴を開け機能的なデザインを生み出しました。これにより金属の板を一枚の布のように曲げたり、折りたたんだり、形作ったりできる機械を新しく開発し、これによって彼はデザインや表現の自由度を大幅に高めることに成功しました。1940年代後期には彼独自の穴あき金属を用いて多数の家具をデザインし、モダンデザイン愛好家たちから強い評価を獲得してマテゴのパンチングメタルのスタイルが確立されていきました。
彼が築いた新しい技術とスタイルの金属素材は家具や照明器具にとどまらず、トレイ、ゴミ箱、マガジンラック、鉢植ホルダーなどの小さな日用品に至るまで、フランスの200型以上の伝統的なアイテムに応用されたこともマテゴの工房のアイテム展開における大きな特徴です。このような手法にはマテゴが元々百貨店で築いたキャリアやデザイン思考も良い影響を生んでいたのかもしれません。
マテゴは1945年から1950年代まで家具デザイナーとして最盛期を迎え「Java」「Soumba」「Bagdad」「Satellite」シリーズなど数々の代表作を残しています。一部の作品はLes ArtsDécoratifs(パリの装飾芸術美術館)やCentre Pompidou(パリのポンピドゥーセンター)のデザインコレクションにも加えられています。
1960年代以降はタペストリーのデザインと生産への道に進んだ背景もあり、マテゴは家具デザイナーとしての活動期間が15年程度と非常に短かったことや、各シリーズや各プロダクトの生産数も限られていたこと、近年デンマークのGUBI社からマテゴの家具作品の数々が復刻されたことなど多くの要因が重なって、ミッドセンチュリーに制作されたオリジナルのヴィンテージ作品の価値が更に高騰してしまう状況も生まれています。歴史の名作含め、良いものは評価され、高い資産性も生まれる現代の潮流を感じられる。